休日出勤のおっさんが若い。
髪はセットをしてないからフリーダム状態。
服はトレーナーとジーパン。
アメリカのオヤジみたい。
スーツって人をあんなにも老けさせるのかと驚く。
休日出勤だからってその気の抜きようはいかがなものかと思うけど。
少年の如く、爽やかに見えてしまうのだから不思議だ。
「オールド・ボーイ」 もアメリカでリメイクしちゃったから妙な清涼感がある。
誰も悪くない。
オリジナルが傑作すぎた。
リメイクをする必要がないものをリメイクする理由があるとしたら、オリジナルの宣伝になるということくらいかもしれない。
韓国が作った傑作。
復讐。
執念。
恨み。
あの国だからこそ生まれた。
それは、よくもわるくもやはりアメリカらしさが出てしまったのである。
オリジナルの「オールド・ボーイ」はトラウマ映画の一つである。
あの結末に顎が持っていかれた。
心臓をえぐり取られたかのような痛烈なラスト。
叫びたくなるのは見ている方も一緒だ。
汚いおっさんが、痛々しくどこまでも復讐のために向かっていく姿は恐怖そのもの。
不条理な上に、到底納得できない人間の愚かさでまみれていた。
こちらはどうか。
そうやって比べてみてしまった時点でアウトであろう。
このアメリカ版の方を素直に見るには、オリジナルを観てからでは無理だ。
気になるからどうしてもみちゃいましたけどね。
オリジナルを知っている人はどうしても比べて観てしまうだろう。
まず、アメリカ人はハッキリさせたいお国柄である。
不条理に不条理にふさわしい理由をつけたがる。
それでは本来の恐怖が薄れる。
この絶望は全然足りていない。
つけなくてもいいものをつけてしまうとただの化け物映画になってしまう。
オリジナルの「オールド・ボーイ」は、そういう容赦が一切なかった。
容赦どころかさらに切なくて痛い悲しみまでついてきた。
きっとアメリカ人はどこかポジティブなのだ。
徹底できない弱さがある。
どこか楽観的でいたいという叫びが聞こえる。
そして、アメリカ人はかっこいいヒーローが好きだ。
チェ・ミンシクの無様さは、笑っちゃうくらいにひどかった。
対してジョシュ・ブローリンは、無敵のヒーローみたいにどこか平気そうに見えてしまった。
オチを見て確かにヴっとこみあげてくる気味悪さはあったけれど...
どうしても違うと思ってしまう。
やはり、これはしなくてもいいリメイクだったろうけれど...
ちょっとライトに「オールド・ボーイ」を見てみようと言う人にはいいかもれませんよね...
ということにしておこう。
あ。
エリザベス・オルセンちゃんの立派なボディが見れるという特典はございます。
そこだけはオリジナルに勝っている気がします。
ちぶ~的オールド度5
ジョシュさんかっけーからなぁ。太っててもあのマッチョはいいよねぇ。アメリカ人ってどうしてもどこか爽やかさになってしまうのが損だなぁ。