初めて釣りキチ三平バスに乗れた。
ランダムに走っているらしいけど、今まで一度も乗れたことがなかった。
ちょっとハッピー。
結構ハッピー。
と思ったら整理券が.....出ない。
バスの運転手さんが一生懸命機会をぶん殴って整理券を出す。
そして、まさかの手配り。
とてもいい運転手さんだったのでほのぼのしましたけどね。
初めてづくしの日でございました。
「ゼロ・グラビティ」も今年公開映画では初めの心の揺さぶられ方をしました。
あらすじは....
地表から600キロメートルも離れた宇宙で、ミッションを遂行していたメディカルエンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)とベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)。すると、スペースシャトルが大破するという想定外の事故が発生し、二人は一本のロープでつながれたまま漆黒の無重力空間へと放り出される。地球に戻る交通手段であったスペースシャトルを失い、残された酸素も2時間分しかない絶望的な状況で、彼らは懸命に生還する方法を探っていく。
誰もが絶賛。
そうなるとハードルは高くなる。
それを懸念して見たのに。
それでもこんなにも心を奪われるなんて。
度肝を抜かれた。
持ってかれた。
3D映画で見るべき映画を見たのは、初めてかもしれません。
宇宙には酸素がない。
放り投げられた命。
生きるということ。
これは、ただのSFじゃない。
力強くまっすぐで美しい。
人間のドラマなのです。
何もしなくても用意されている地球。
人間からしてみたらその当たり前がない宇宙。
しがみつかなければ前に進むことすらできない。
自分の力では呼吸もできない。
宇宙という舞台はまるで人生そのものに見える。
人生は浮遊し、行き先を知らない。
人生に自分の肉をそがれながら時間が奪っていく。
努力や運だけではどうしようもならないことの方が多い。
生きることは楽しくて幸せ。
それはそうありたいだけで、絵空事にすぎない。
生まれた者に自動的に与えられる人生。
生きるということは使命になる。
人生は、苦しくて苦しくて息ができないくらいつらい。
だからこそ、その中で見つけた幸せを幸福だと感じられる。
生きるって素晴らしいと思える瞬間を見つけられる。
そもそも人生は、苦しみの上に成り立っているのだ。
誰だって幸せになりたい。
誰だって苦しいのは嫌だ。
逃げたくて逃げたくてもがく。
あきらめることは簡単だ。
挑戦しないことも楽だ。
前に進もうとがむしゃらになる方がよっぽどつらい。
人は当たり前に生きる中で使命を忘れていく。
命は誰にでも与えられたものじゃない。
死ぬ日は今日かもしれない。
感じろ、心臓の音を。
聞け、自分。
本能が生きたいと叫んでいる。
ただ目の前にあるものを掴めばいい。
なんでもいいから掴め。
汚くったってかっこ悪くたってなんでもいい。
生きるということ。
あきらめないということ。
酸素がない=死
そんな方程式は存在しない。
呼吸ができないなら呼吸できるようにすればいい。
何もしないのは死んでるのと一緒。
人は結局一人で生きているのだ。
孤独が人を強くする。
踏み出した一歩を噛みしめろ。
地球に生かされた命。
人生に終わりなんかない。
無制限な無重力の中でも、人はゼロ%をヒャク%にする力を持っている。
ちぶ~的アイラブジョージ度5
サンドラは当たり前のように素晴らしい演技だったけど、ジョージが!!!宇宙の中心でジョージと叫びたいくらい、ジョージにやられた!!!ジョージがCMでやっているネスカフェのコーヒーをがぶ飲みしてあげたいくらいゾッコンラブ!!!