人はたまにヌケガラになる。
あまりの内容量にショートする。
目が死んでいる人を見ると同情する。
気持ちが分かるだけに仲間意識が芽生える。
疲れるんだよ、人生。
何も考えずに彷徨いたいときもある。
ゾンビのように生気がなくともこの世にいなければならない義務。
最近、私のゾンビ時間も長くなってきたので気を付けようと思う。
特に、一人カフェしているときの私は危険だ。
すっぴんで微動だにしない。
いまいち、何に疲れてるのか自分でも分かんないのが厄介である。
「私はゾンビと歩いた!(ブードゥリアン)」のゾンビは、私と同様に襲ったりはしない比較的安全なゾンビ。
解説......
富豪の妻を看病するため、美しいナースがハイチの豪邸にやってくる。ところがその夜から、彼女を恐ろしい出来事が襲う……。ブードゥーのまじない、俗界と死界をさまようゾンビなど、恐怖要素満点のクラシック・ホラーだ。
こんなに感動が迸っているタイトルを見たことがない。
確かに私もゾンビと歩いたら自慢したい。
後世にも語り継ぎたい出来事になるだろう。
ゾンビ×ブードゥー教というコラボ。
悲しき生きる屍。
空っぽになってしまった魂。
不気味な太鼓が誘う。
生と死の境目をあなたは見る!
1943年の作品だというのに、全く古臭くない発想。
現代のゾンビは節操がない。
古き良き時代は、ゾンビだって趣があった。
死ぬよりも怖ろしい。
死よりも悲しい。
肉体はあれど、心がない。
愛することも憎むこともできなくなってしまった妻。
因縁の兄弟。
妻はその果て。
新しい人物というものは変化を持ってくる。
派遣でやってきた看護婦。
大胆すぎて引く。
助けたいが故に、妙な儀式に連れて行く度胸。
もしかしたら、嫉妬で腹黒い魂胆があったのかもしれない。
あゆよりデカイ眼球を持った黒人ゾンビがそうであったように、私も身内だったら睨みつけると思う。
ブードゥー教の異様なダンス。
健康に良さそうでもマネしてはいけない。
妙なまじないや呪文のオンパレード。
そんな手間をかけないで普通に自分ですればいいなんて言ってはいけない。
宗教は理解不能で不信の教え。
コントロールされるのは弱さにつけ込まれるから。
生きたら死ぬ。
それが当たり前。
望んではいけないこともある。
何事もあきらめが肝心。
大人しく死にましょう。
また来世で会えます。
私は、エホバの証人みたいに証人にはなれませんけどね。
ちぶ~的不吉ソング度5
人んちのことを歌にして街中で歌われるなんて相当嫌われている。新手のいじめ。普通に忠告されるよりも軽快なリズムで歌われる方が不気味。