万年ドライアイ。
乾燥するから炎症もしやすい。
この前、久しぶりに眼科に行って目薬をもらってきた。
ついでに、コンタクトをアキュビューのアドバンスからオアシスへ変えた。
金額は400円しか変わらない。
それなのに、全然違う。
うるおいが持続。
前より快適。
視界がきれいだと世界が違う。
「ソイレント・グリーン」のような未来は見たくもないありえそうな世界。
解説は....
2022年、爆発的な人口増加と環境汚染に見舞われたニューヨーク。合成食品ソイレント・グリーンの製造会社社長が殺された事件を捜査する警官は、背後に食糧危機打開のための政府の陰謀がある事を知る……。
70年代のSFにこの発想。
あの「絞殺魔」のリチャード・フライシャー監督作品。
得意のサスペンスフルな展開と斬新な未来設定。
どこかで聞いたことがある内容だと思ったら、藤子・F・不二雄の短編作品「定年退食」に酷似。
調べたところ、偶然の一致らしいが。
ちょっと親近感。
そして、両者の偉大さを痛感する。
自然がないということ。
それは、生きることを奪われた恐怖の未来。
不思議なものだ。
25歳くらいまでは、どこかに行っても食べ物よりもファッション。
着飾ることに、執着している。
20代後半になるにつれて、その執着は落ち着く。
反対に、おいしいものを探すのだ。
お土産も食べ物。
おいしいものを食べれれば大抵満足できるようになる。
この映画の老人ソルの気持ちになってみた。
若い時は当然のようにあった自然。
自然があれば、もちろん食べ物も新鮮。
ありがたみなど、いちいち感じることもなく毎日味わえていた食事。
それが、人口増加と環境汚染で一遍する。
年をとればとるほど、食へのこだわりは増していくもの。
それが、そもそもないという絶望。
緑色の味がない食料を、ただ生きるためだけに摂取する。
そこには、楽しみも生きがいもない。
ただ、体に吸収されるものとして食料がある。
想像しただけで耐えられそうもない。
酒もさけるチーズもチーズあられもない世界なんか、死ねと言われているのと一緒。
私でもホーム(公営安楽死施設)を選ぶ。
隠された真実。
この前のほん怖より怖かったありえそうな未来。
今食べているものですら不安になった発達しすぎる科学の行方。
自然がなくなったら人間は死ぬ。
自然の摂理に逆らうべからず。
生きようとあがきもがいても、そんな現実ならいっそのこと死にましょう。
生きることは、死ぬことよりも怖ろしい”犠牲"なのです。
ちぶ~的緑色が恐怖度5
緑色のスナック菓子を食べたくなくなった。あの緑には何かがある!ベジたべるを食べるのも控えよう。