朝、鏡で自分の顔を見る。
死んだ魚よりひどい目をしているときがある。
疲れなのか絶望なのか。
もう、どちらでもいい。
それでも生きなければならないのか。
と、うんざりしつつも結局一日は残酷にも当たり前のように始まるものだから。
ただ、金曜日は若干明るい目になっているかもしれない。
だって、週末は映画三昧ですから。
今回は、シネマパレ で 「二十四の瞳」を鑑賞。
木下恵介が脚色・監督した日本映画の名作と名高い作品。
......に、この私が挑戦してみました。
木下恵介という名前は映画好きであれば若くても見たことはなくても名前は知っているだろう。
だけど、黒澤明とは違ってなかなか見ようとは思わない。
なんだか教科書みたいなきれいな映画な気がして...
と、思っている人は多いだろうし私はそう思っていた。
反戦映画。
生徒と教師の物語。
悲しくて泣けて切ないなんちゃら。
と、思うでしょう。
ズバリ。
違います。
なんだか違うんですよ。
見る前と見終わった後では大違い。
秀子ちゃん、なめてました。
三十路の瞳にもまだ涙は残っていたようです。
穏やかさとか綺麗に描こうとする不自然さが全くない。
というか容赦はない。
結構ピリカラ。
いつの時代も最先端を行く奴は指をさされる。
正直者は馬鹿を見る。
凛とした美しくて誇り高き新人女教師が一人の人間として生徒たちと共に生きた人生。
教師としてなのか。
一人の女性としてなのか。
意外にそういうことには捕らわれていないと思われる描写にちょっとびっくりする。
教師に固執しているわけでもなかったし。
女だからと言いすぎるわけでもないかったし。
そう考えると一人の人間としての話として捉えるのが一番近いかもしれない。
戦争の時代に生きた人々。
したいことはたくさんあっても自分たちの努力では到底敵うことがない現実。
人は弱い。
時代に勝てるものはいない。
それでも生きていかなければならないから。
前に進まないといけないから。
泣き上戸になってしまう秀子ちゃん。
「うぅっ」と嗚咽されたらつられて泣くしかないのだ。
だって泣くことしかできないじゃないか。
成す術がないのだから。
そんな残酷で悲惨な時代。
二十四の瞳残った過去と未来。
過去があり未来がある。
未来があるのは過去がそうさせたから。
ラストに映る秀子ちゃんの瞳は決して絶望ではない。
二十四の瞳を今も見つめている。
瞳は二十六だったのだ。
時代に翻弄され、それでも強く生きようとした。
生きれなかった人たちのためにも今日をまた生きる。
雨の日も風の日も...
見終わった後はヒールの高いブーツだったのに歩いて帰った。
そして、あの歌を口ずさみたくなってしまうほどにこの時代に生まれてきたことに感謝したくなったのです。
ちぶ~的ひ~でこちゃ~ん度5
とにかくワイルド。情深いようで結構あっさりしていたり、こだわりがあるようでなかったり。この時代なのに結構自由気ままな女。それが秀子ちゃんです!