同性と異性。
性別は、一緒だからいい場合と、違うからいい場合がある。
たとえば、同性の友人と異性の友人。
全く同じ付き合い方はしないだろう。
話す内容も頼るときも異なってくるからだ。
一生理解することができない異性。
それを理解しようとするのが本能。
人間はないものねだりだ。
だから恋をする。
誰かを愛そうとする。(もちろん例外もあるが)
私はそれが最近、鬱陶しい。
なぜなら、それだけがすべてじゃないことを知ってしまったから。
ジャン=リュック・ゴタール監督の「男性・女性」を見て、やっぱりこの決定的な性別の違いは一生超えられない壁だと痛感。
あらすじ....
巨匠・ゴダールがひとつの初々しい恋を軸に60年代のパリの若者たちの日常を15のエピソードで綴った青春映画。
雑誌社に勤めるポール(ジャン=ピエール・レオ)は、歌手志望のマドレーヌ(シャンタル・ゴヤ)に恋をして付き合い始めるが、次第にお互いのズレを感じるようになり…。
正直に言う。
これは、退屈な映画でした。
ゴタール映画という言葉があるくらいの巨匠だということは存じてます。
「ゴタール映画は面白い」と言えたらどんなにカッコいいか。
ダサイ私にはわかりませんでした。
巨匠に完敗。
冒頭のカフェのシーンの10分後に撃沈した私は、映画好きとは今後名乗れないほどの愚か者です。
どうせなら、ゴタールに御託を並べてやろうと思います。
フランス映画の淡々さがモロ丸出し。
女性なら、真っ裸というより肉まで見えるところまで出ています。
会話のシーンがダラダラと続くので、苦痛で仕方ありません。
シャレたセリフもあったのでしょうが、ダルすぎて記憶にありません。
メリとハリがない。
川の流れのように流れます。
それはもうサラサラと。
ポールがなんだかハッキリとマドレーヌを口説かないもので....
ハッキリしない男が嫌いなせいか、イライラムカムカ。
油断すると襲う強烈な眠気。
間に入る拳銃の音で起こされさらに不機嫌。
(ただ、この映像と音の入れ方はカッコイイですけど)
気持ちよく寝かせてもくれない。
ゴタールは、私を逆なでするかのごとくストーリーを展開させていきます。
ただ、映像の手法は斬新だったのかなと思います。
話しかけている方を全く映さないまま、話している人ばかりを映す。
二人の会話シーンで二人が同時に映るというシーンが少ないのです。
このかみ合わない視線が、まさに男女の違いを表現しているかのようでした。
全体的に当時の青春恋愛映画といった感じに見えますが。
実際は、政治批判のような箇所もあり社会風刺含め当時をそのまま映し出すための映画だったように思います。
当時を知るには必要だった作品。
歴史の教科書みたいなものでしょうか。
学生の時、教科書を見るのも憂鬱でした。
なぜなら、起きた出来事をただ記しているだけだからです。
ゴタールは、これに似ている。
映画の基盤となっていることは認めます。
ただ、シャレの一つも出てこない。
そんな映画は御免です。
ゴタール映画って言葉がなにやら気にくわないんですけども。
とにかく。
退屈が革命ってあるのですね。
私は、ずっと刺激が革命だと思ってましたよ。
ちぶ~的え?いたの?度5
カフェの女役で、まさかのブリジッド・バルドー出演。見終わっても分からないゴタールマジック。