もうええわっ!
どうもありがとうございました~。というコントみたいな終了をしてしまった今日。
私は疲れている。
仕事をやめたことで自由になったと思っていた。
でも、そうでもない。
言いたいことを言えるようで言えない。
むしろ言う気にもなれないくらい呆れている。
どうでもいいのだ。
人は、束縛された中で自由をみつける。
みつけようともがく。
日本という国は、そういう意味では自由な国である。
文化的にも政治的にも「できない」ということはそんなにないだろう。
2012年の今。
日本人にとっては、時代が遅れていると思う中で生きている人たちもいる。
「彼女が消えた浜辺」は、それが色濃く出ている作品であり未知の世界のように感じる。
同じ時代を生きている人たちだとは思えないからだ。
テヘラン近郊の海辺のリゾート地にバカンスに訪れた男女の中に、セピデー(ゴルシフテェ・ファラハニー)が誘ったエリ(タラネ・アリシュスティ)もいた。トラブルに見舞われながらも初日は楽しく過ぎ、2日目に事件が起きる。海で幼い子どもがおぼれ、何とか助かったものの、エリの姿がこつ然と消えてしまっていたのだ。
最初は、ただの失踪ミステリーだと思っていた。
でも、これは違う。
痛烈な風刺ドラマだ。
浜辺で消えたエリの素性をめぐり、二股をかけていたことが発覚。
それが婚約者にバレたら殺人事件でも起こるかのようなパニック。
これを見て私がパニック。
日本では、デキ婚ブームである。
黒木メイサなんて2月に結婚して4月で妊娠4か月とか意味のわからん肉食ぶりを発揮しているのに....
なんだかダラしない国でごめんなさいと思う。
こんな国では「SEX and the CITY」なんか絶対放送できない。
保守的な国で生きている人の娯楽とは一体......
マジで凧揚げとか古風なものなんだろうか。
気になる。
それは置いといて。
この映画は、どんどん周囲の人間が追いつめられていき文化的背景、政治的背景、お国柄がにじみ出てくる。
そしてどうしようもできない縛りの中で、なんとか必死に進んでいこうとするのだ。
日本人は、そういう場面に遭遇しない。
だからこそ人と人との絆というものが足りないのかもしれない。
束縛された中でも、自由があるせいで平和に見えるのだろうか。
なら、いっそ消えた方がいいのか。
平和がなくなったとき、初めて気づくものってあるかもしれない。
それで何かが変わってくれればいいのだけど。
ちぶ~的ジェネレーションギャップ度5
まず、スカーフを巻くのは嫌なんですけど~。