昔、日記を書けと言われたことがある。
文章を書けば声に出して言えないこともきっと書けるからと。
でも、私は書けなかった。
言葉に出せないようなことを日記に書けるものか。
恥ずかしすぎて気持ち悪い。
後で読み返して、後悔するだけじゃないかと思ってしまう。
だから、一度もまともに日記を書いたことがない。
が、このブログは気づけば半分日記になってしまっている。
前に見た映画を思い出すために、自分の記事を読み直すことがある。
今では絶対に使わない言葉や感性がそこにある。
同じ自分なのに不思議だ。
時間は、変わらないようで着実に変わっているのだ。
いつかはこのブログを製本した方がいいのかなとも思う。
売りものにもならない記事だけど、自分にとっては価値があるだろうから。
「世界にひとつのプレイブック」も自分にしか分からない苦しみがあった。
あらすじは....
妻が浮気したことで心のバランスを保てなくなり、仕事も家庭も全て失ってしまったパット(ブラッドリー・クーパー)は、近くに住んでいるティファニー(ジェニファー・ローレンス)と出会う。その型破りな行動と発言に戸惑うパットだったが、彼女も事故によって夫を亡くしており、その傷を癒やせないでいた。人生の希望を取り戻すためダンスコンテストに出ることを決めたティファニーは、半ば強制的にパットをパートナーに指名する。
こういうジャンルの映画は苦手だ。
すんなり感動することも認めることもできない。
それでも見ようと思ったのは、一応私なりにも悩み苦しみながら生きているからだろうか。
今回の変化球な好奇心は正解だったと思う。
この映画は、簡単にラブコメのコーナーに置かないでほしい。
傷だらけの二人が出会う。
恋だの愛だのなんてそんな美しい話じゃない。
もっとめちゃくちゃで孤独でそれなのに生命力の溢れている再生ドラマだ。
生きるのは痛い。
息をするのは苦しい。
人は結局一人で立ちあがらなければならない。
家族がいて友人がいて愛する人がいて。
それでも人は何度も挫折し一人で立ち直る。
幸せは大きいほど不幸になって返ってくる。
ある日、突然どん底に突き落とされても生きなければならない。
妻の浮気で鬱だなんてと思うだろう。
だけど、心の傷はどれも計れない。
見ることのできない痛みは本人以外に感じることができない。
そこに同じく傷だらけの女。
しつこくて女々しい男と竹を割ったような性格男前な女。
二人は共鳴する。
ダンスで心を響かせる。
無意識に傷を癒し、回復させる。
決して、傷の舐め合いをするのではなくそれぞれの自分自身の力で立ち直る。
愛は薬かもしれない。
でも、その前に本能が自分を生きたいと叫んでいるはずだ。
大切なものを失い、自暴自棄になってもまた人は生きるのだ。
かっこ悪くてもだらしなくてもいい。
自分はこの世に一人だけしかいない。
過程とか結果とか過去とか未来とか。
そんなのはまず置いといて。
今はつらくてもきっと自分で世界を変えられるはず。
自分自身の力で生きられる。
神から与えられた命。
人生は人が生きること。
その筋書きはいくらでも変えられる無限大の可能性がある。
なんでもいいよ。
失敗したらぶち壊しちゃえ。
全部捨てちゃえよ。
1ミリでもいい。
昨日と違う自分になろう。
歩き続けてればきっと世界は自分をみつけてくれる。
だって世界の中心は元々自分のモノなんだから。
ちぶ~的イケ男イケ女度5
美男美女なのに、キャラと同化してやさ男とビッチに見える。二人の化学反応がハンパない。ジェニファーはこのままの体型でいてほしい。