無職なもんだから、昼過ぎくらいに駅をうろついたりする。
すると、必ず声をかけられる。
エステの勧誘やヘアモデルのスカウト。
駅じゃなくても道を尋ねられたりする。
ちょっと前はそんなことはなかったのに。
年をとって声をかけられやすい雰囲気になったのだろうか。
もちろん、聞かれれば答えるが。
正直、知らない人に声をかけられるのは怖い。
近くに変な人が寄ってきたりすると絶対に、関わりたくないと思う。
それくらい物騒な時代ってことだろうか。
「ある戦慄」は、60年代の作品であるのにも関わらず現代に通ずるものがある。
無視が正解なのか考えさせられる、現代だからこそ見るべき映画だ。
あらすじは...
ニューヨーク・ブロンクス。夜の街を闊歩するジョーとアーティのチンピラ二人組は通行人を暴行して小銭を巻きあげると、マンハッタン行きの地下鉄に乗車する。そこには幼い少女を連れたウィルクス夫妻、アリスとトニーの若いカップル、年老いたベッカーマン夫妻、教師のパーヴィスと美人の妻バーサ、白人を憎んでいる黒人アーノルドとその妻、同性愛者のケネス、休暇中の陸軍一等兵などが乗っていた。ジョーとアーティは乗客をからかい始める。ドアが故障して他の車両へ移動できないため誰も逃げられない。すると乗客はチンピラに挑発され、日ごろの鬱憤を爆発させ、感情をむき出しにし、互いにののしり合い始める。調子に乗った2人は少女に手を出そうとする。そのとき、ついに立ち上がって彼らに対決を挑んだのは意外な人物だった……。
これも「トラウマ映画館」で紹介されている作品。
この本はハズレがない。
作者である町山智浩は、天才じゃないか。
というか私と好みが一緒。
想像以上に「ある戦慄」は傑作だった。
電車でよくある光景。
子供が大騒ぎ。
親は、子供を野放しにしても平気そう。
周りの大人は、注意しない。
それは、面倒だし関わりたくないから。
責任を持ちたくないのだ。
自分には関係のないことだと思っている。
この光景を大人バージョンにして、社会風刺も詰め込んだのがこの映画。
野放しにされた子供がそのまま育ってしまったかのようなチンピラたち。
親が、社会が育てた悪意。
その不条理さは、「ファニー・ゲーム」の原型のよう。
もし、自分だったら?と考えさせる展開。
観客に訴えかける。
「本当の”戦慄”は何なのか?」と......
パッケージの写真は、ジョー役のトニー。
美青年である。
胸毛丸出しスタイルは、全編どうかと思うが。
野獣さは、胸毛から表現できているのは確か。
綺麗な顔立ちだからこそ、怖い。
大体、いじめっ子もイケメンか優等生であったりするので。
相棒は、あのチャーリー・シーンの父でもあるマーティン・シーン。
元からの悪どい顔と役がマッチ。
準主役でも存在感は大きい。
若くても演技は熟していたようだ。
この二人の狂気がいいからこそ軸が出来ているのだ。
乗客のさまざまなキャラ。
ホモや黒人、今どきの若者、老夫婦、子供がいる夫婦、酔いつぶれたおっさん、常識がありそうな紳士、一見強そうな軍人。
そのキャラたちの背景には、同性愛や、人種差別等が垣間見れる。
電車の中は、まるで社会問題。
今、問題になっているいじめ問題ともつながっている。
傍観という名の罪。
本当に怖ろしいのは加害者だろうか。
正義は勝つというが、実際はそうなれるのだろうか。
何も知らない、見ない方が安全ということか。
時代への痛烈な批判ともとれるあのラストは、とても怖かった。
ツタヤの良品発掘コーナーにあったこの映画。
「トラウマ映画館」もこのコーナーも外れがない。
見るとちょっと視点が変わるような作品が多い。
目をそらしたい現実は、いつかは向き合わなければいけません。
どうせなら、その前に映画で免疫つけるのもいいかもしれません。
ちぶ~的白黒映画度5
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