心が大雨。
意外と自分では気づいていなかったりする。
気づいた途端に急激に疲れた。
季節の変わり目は心もコロコロ変わる。
自分にはそんな時、心配してくれる人がいる。
それだけでいいじゃないか。
報われなくたって、認められなくったって。
結果がすべてじゃない。
そう、思えたらなんだか楽になりました。
「雨月物語」のような雨も、そんな心の弱さに降る雨だったのかもしれません。
解説....
戦国の世、貧しい陶工・源十郎が若狭姫という女性と知り合い、生活をともにするようになる。だが美しい若狭姫の正体は死霊であった。それを知った源十郎は若狭姫を捨てて故郷に逃げるが、彼女の怨念は執拗に追いすがる……。「雨月物語」をベースに、川口松太郎らが脚色。
この物語には人生の教訓が詰まっている。
俳優たちの圧倒的な存在感。
一言一言のセリフの重み。
京マチ子が男の前に現れる。
それだけで物語になる。
今の映画では味わえない奥ゆかしさに魅了される。
上田秋成の「雨月物語」の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編を脚色し映画化。
もちろん、私は原作も作品も知らなかった。
でも、得意の怪奇系。
1950年代の怪談は、死霊までもが慎ましい。
女性という生き方。
男というあり方。
そうか。
この時代はあるものが少ないけれど、今はないものがある。
肌は一つも見せない。
それなのに、所作が艶めかしい。
想像をかき立てる色気。
あの微笑みは怖ろしい魔力を持っている。
本当にいい女は見せるのではなく、魅せるのだ。
今も昔もこの世は誘惑だらけ。
それは変わらない。
誘惑は、人間の弱みを掴む。
何かを求めれば何かを失う。
そして、人間は失わなければ分からない生き物。
その時、初めて意味を知る。
人生は、まるで雨のように気まぐれ。
降り続けることも降らないこともない。
人生は、無常。
欲がなければ喜びを知ることもできず、欲に駆られれば破滅を導く。
人間は底なしに愚か。
どちらかを選び成功しても失敗しても後悔し続ける、それくらい欲張りな生き物。
それでも無償の愛は、すべてを受け入れる。
そんなことができるのは、慎ましい時代だったからではないでしょうか。
ちぶ~的じめじめ度5
死霊が女ってだけでもうじめじめ。美人が重いともっと怖い。その積極的さは、もはや脅迫です。