財布は会計の時以外バッグから出さないから心配にならない。
問題は、携帯である。
しょっちゅう失くす。
大抵ポケットかバッグに入っているんだけど、急に不安になって大騒ぎ。
大した情報が携帯に入っているわけじゃない。
だけど、自分の情報がすべて詰まっている気がして離せないのです。
失くしたら戻ってこない気がして。
「カエル少年失踪殺人事件」も、もう取り戻せない過去がずっと続いていく。
あらすじは....
1991年3月26日、山のふもとの村で「カエルを捕まえにいく」と言って遊びに出た5人の小学生がこつ然と姿を消した。特ダネを狙うMBS放送のカン・ジスン(パク・ヨンウ)や犯人像の分析を行うファン教授(リュ・スンリョン)、捜査を担当するパク刑事(ソン・ドンイル)たちが事件を追う中、ある子どもの父親(ソン・ジル)に容疑が掛けられる。
『殺人の追憶』として映画化された事件などと並ぶ、韓国の3大未解決事件のひとつを映画化。
だが、こちらは地味め。
ポン・ジュノ監督のような激しさはなく、ソン・ガンホのような強烈さがある俳優もいない。
それでも、2時間越えを感じさせない吸引力がある。
事件を取り巻く人間模様。
それに翻弄される被害者家族たち。
エンドクレジットでも流れるように、事件解決を願う想いがじんわりじんわりと伝わってくる。
韓国の3大未解決事件の実写化映画は、「殺人の追憶」しか見ていない。
が、共通しているのは警察の怠慢とメディアの過剰さ。
真相よりも自分が大切。
身勝手さが真実をさらに遠ざけた。
浅はかで愚かだ。
だが、怖ろしいことにそれが人間とも言える。
ある日、自分の子供が消える。
理由も前触れもなく。
きっと親たちの時間はそこで永遠に止まったまま動かない。
見つからないまま時間だけが過ぎていく。
どんなに泣いてもどんなに悔やんでも何もできない。
そんな時間が何年も続くなんて.....
自分たちは永遠に忘れられないのに、ほかの人は当たり前のように忘れていく。
だって、他の人たちにとっては関係ないから。
自分の子供じゃないから。
所詮、哀れんではくれるけどそれだけだ。
悲しみは、死ぬまでまで続く。
必死で腕をつかんで取り戻そうとするけど、自分の子供は決してこちらを向いてくれない。
そんなどうしようもない悲しみを抱えながら....
絶対に自分の子は生きている。
そんな希望を手放せない被害者家族たちの涙でいっぱいになる。
ラストの思わせぶりな描写は蛇足ではないだろうかと首をかしげる。
実際の事件を映画化するなら忠実にするか思いっきり脚色するかのどっちかにしなければどうしてもモヤモヤしてしまう。
だけど、エンドクレジットを読んで思った。
せめて映画だけでも....という切実な思い。
蛇足は、蛇足だと分かっていても蛇足したかったのかもしれません。
ちぶ~的韓国怖し度5
この手のサスペンスはハズレナイ韓国映画。だけど、これ系を見るといつも韓国に行くのが怖くなる。警察って一番信頼できないきゃ意味ないと思うんだけど...