前よりも適当に生きてるせいか。
急に怖くなるときがあります。
10年後、20年後のことを考えたときに。
でも、考えると疲れるんですぐやめますけども。
世界中のホラー映画を見尽くすまでは死んでも死にきれませんので。
そのために稼げればいいやって思っておこう。
生きる理由なんてそんなもんでいい気がします。
大人になればなるほど抱えるものが大きくなりますね。
と。
悶々としてる時に「ぼくは怖くない 」を見て、同じ人間でも大人と子供って別の生き物みたいだなって思いました。
解説は....
1978年の夏、南イタリア。麦畑が一面に生い茂る小さな村に住む10歳の少年ミケーレ。彼はある日、廃屋の裏で不思議な穴を発見する。中を覗いてみると、なんと鎖に繋がれている少年がいた。事態が飲み込めず混乱するミケーレ。恐怖のあまり誰にも打ち明けられない彼だったが、どうしても気になって何度も穴に行くようになる。やがて、穴の中にいた少年フィリッポも心を開き始め、2人は次第に友情を育んでいく。しかしある時、ミケーレは彼の父や村の大人たちの会話を盗み聞く。どうやらそれは、あのフィリッポに関わる何か恐ろしいことのようだった…
ほのぼのと流れていく時間。
平和に過ぎていく少年の日常に、ある日事件が起きる。
ミケーレの正義。
子供と大人の違い。
穏やかな展開ながらも鋭い切り口を魅せる。
タイトルのぼくは怖くないに隠された真の意味とは.....
一面広がる麦畑と、のどかな村の風景をバッグに果てしない少年の純粋な心が見える。
大人はいつだって利己的だ。
それに比べて、子供はただ自分の思ったことを行動に変える。
そこには義務も責任もまだないから。
子供は、子供なりの事情がある。
子供は、大人に従順でなければ生きていけない。
大人は、絶対的な存在であり疑問を持つことすらできない相手なのだ。
穴の中に人がいたという恐怖。
イタリアは広く深い。
私だったら、怖すぎて近づきたくない。
ミケーレは違った。
無知は強い。
怖さよりも興味が勝つ。
暗闇に潜む少年と交流するうちに大人の闇にも入り込む。
最初、怖くないという意味はフィリッポに対してだと思った。
きっとそういうことではなかった。
フィリッポは怖い存在ではない。
大人が怖い存在であるということを気づかせただけだ。
また、これから"それ"に自分もなるということ。
静かに淡々と用意される新しい扉。
もっとサスペンス描写やスピードがほしかった。
イタリア独自の雰囲気が異質で、これはこれでいいかもしれないが。
ラスト。
ミケーレはフィリッポに何をみたのか。
子供から大人へ。
年齢は重ねれば重ねるほどいろんな色に染まっていく。
二度と消すことはできない。
増えることはあっても減らすことはできないのだ。
ちぶ~的イタリアン度5
パスタで言うとナポリタンな感じのイタリア映画。お国映画ってのはいつだって興味深い。そして、ちょっぴりホラーは、タバスコみたいにいい感じ。ま、私はぶっかけたい派ですけども。