もう疲れ切っていて、料理をするとしても今は週末くらしかできない。
このままではダメだと思いながらも疲労に勝てないのだ。
思えば、そもそも料理を作るのは嫌いじゃない。
むしろ、作るならばおいしいものを食べたいので結構凝る。
まぁ、作るまでが面倒なので頼まれるとかなり難色を示しますが...
出来上がって食べたら大体機嫌は直りますね。
「南極料理人」の料理人は私と違って難色は絶対に示さないプロの料理人の話である。
自分のしたいことが南極。
仕事が南極でしかできない。
そんな理由から、非日常的な場所へある日行くことになったらどうしよう。
コンビニもない。
ネットも使えない。
外には動物さえいない。
これは、ある意味めっちゃ明るい密室パニック映画である。
人間の極限。
世界の果て。
どんな場所でも人を支える基本は食生活なのだ。
もう、出てくる料理が全部うまそう。
朝ごはんを食べてから週末名画座 シネマパレ で見たんだけど...
目に毒とはこのこと。
きっと空腹で見た人はめまいがしたに違いない。
若い頃ってあまり食べ物に関心がなかった。
どこに行っても別にファーストフードでも平気だったし、何を食べようか考えることすらしなかった気がする。
不思議なのは、年をとればとるほど食事が大切になるということ。
たとえば、旅行の行先なんて食べ物から決めることだって増えてくる。
新しいお店ができればすぐ試したり。
どうせお金を出すなら、おいしいものをとこだわる。
それって人間の本能に近づいているからかもしれない。
余計なものにだんだん飽きてくると本質が分かってくるというか。
南極に派遣されたおっさんたちが、なぜこんなに食べ物をおいしく食べれるのか。
それは、とっても簡単だ。
食事があるからこそ仕事を頑張れる。
おいしいものが寂しさを紛らわす。
そして、食卓という場所は人の絆や生活を作っていく場所なのだ。
きたろうの涙にうなずくことしかできない。
ラーメンっていうのは日本人の救いだ。
酒を飲んだら締めはラーメン。
週末は映画を観ながらラーメン。
疲れ切って料理をしたくない日はラーメン。
そんな生活を送っている私には共感と称賛しかない。
すするっていう食べ方だって日本人のもの。
ここには日本の食文化と生活がある。
人間のむきだしの欲望がある。
いつだって食事は自分を支えている源だと思い知るのだ。
ちぶ~的なんでも料理人度5
そもそも料理は要領とセンス。どんな食材でも料理する人の腕で味も見た目も変わる。料理人って芸術家と言っても過言ではありませんよね。