朝の四時に帰宅途中のこと。
電柱におっさんがひっついていることに気付く。
こっちをじっと見ているが話しかけてはこない。
秋田人はしょりがり(恥ずかしがり屋)だから仕方がないが。
黙ってただ突っ立ってる姿はとても怖いので、どうせなら話してくれた方がマシだと思った。
まぁ、「キョンシー」みたいに追っかけられたら嫌だから放置が一番いいか。
この記事をやっとの思いで書いたのに消えていたことに気付く。
もう、なんて書いたかなんて覚えちゃいない。
だから短文で済ませます。
消えたことが悔しすぎて...
子供のころに流行ったキョンシー。
キョンシーごっこをして追いかけっこをして遊んだことを思い出す。
見ないわけがない。
だけど、なぜ今これをしたのか...
そもそもこれはキョンシーか....
と、戸惑いを隠せなかったのである。
映像がスタイリッシュ。
お祓い?シーンが妙にかっこいい。
どうせならずっとそれが押し通せば楽しかったかもしれない。
妙に、エグくて切ない物語を織り込んでくるものだからキリキリする。
キョンシーがマジメ化。
ここまでシリアスにされるとぐったりする...
現代は孤独である。
キョンシーの世界もそうらしい。
時間がない。
余裕がない。
キョンシーもそうらしいので、目に見えないくらい早い。
手を伸ばしてぴょんぴょんしている場合ではないらしいのだ。
なんだか....
寂しい。
時代が流れるとこんなにも寂しくなるものかと胸が苦しくなった。
オリジナルはどんなだったのか。
もはや覚えていない。
キョンシーのあの動きしか記憶にない。
これを見るとオリジナルが見たくなる。
私の知っているキョンシーはここにはいない。
もはや、それを期待しないで見た方が楽しめると思います。
ちぶ~的キョンシー氏度1
違います。あなたじゃありません感がたっぷり。あの可愛さは今はいらないということなのか。昔はよかったわと思ってしまうのは年をとったからでしょうか。