飲みにケーションって大事だ。
特に、秋田では。
みんなしょしがりなので、やっぱり本当に仲良くなるためには飲みに行くのが一番手っ取り早い。
そんな習慣が秋田ではふつう。
だけど、それが職場関係となると私は全く意味が変わってくると思う。
プライベートの飲みにケーションはウェルカムだけど...
会社でのそういう強制的な飲み会は、かなり鬱陶しい。
だから毎回断る。
付き合いが悪いと思われるのは痛くもかゆくもない。
仕事とプライベートは別。
どうせお酒を飲むなら楽しく飲みたいのだ。
ま、もちろん仲のいい同僚と飲むくらいなら全然平気なんですけどねぇ。
「バイロケーション」は、評判がよくないらしいが私はこの程度なら全然平気だった。
作品情報
ある日、自分に似ている人を見たと言われる。
道を歩いていると自分に対する視線を感じる。
そんなことって一度は経験あるんじゃないだろうか。
私的にはこれ系はツボ。
面白いとかつまらないとかは関係ない。
この使い古された題材をまだ使ってくれるだけでありがたい。
でも、今回はドッペルゲンガーじゃなくてバイロケーションだよ。
同じようで違う。
最後まで見てもどう違うかはうまく説明はできませんけどね...
現代チックだな。
バイロケーションのことを開始早々に略してバイロケと呼んでしまうのだから。
じゃあ、ドッペルゲンガーはドッペルで通用するのかしらと思ったり。
変なところで時の流れを感じました。
ドッペルが流行ったころはみんなちゃんとドッペルゲンガーって呼んでましたよ、うん。
ドッペルは遭遇すると死ぬという不吉な言い伝えがある。
そして無意識。
バイロケは自分の意思で行動し平気で自分の目の前に現れる。
どちらかというと人格崩壊の末に生み出される感じ。
うまく言えませんが...
本当の自分ができないことをもう一人の自分がする。
単純に、悪=バイロケという存在になるわけではないというのが面白い。
人間が十人十色であるのと一緒でバイロケもそれに伴う。
出現理由も様々。
途中ゆるゆるになりますが、そこそこ楽しめるでしょう。
ギラッギラの怪演を見せてくれた滝藤賢一のおかげでしょうね。
鏡に映っている自分。
人が見ている自分。
本当の自分はどこへ。
自分ができないことをする自分。
その選択と行動は一体誰のものだったのか....
この世に自分と似ている人は3人いるという。
果たして似ているだけなのだろうか。
もし、ある日通りすがりの人が自分にそっくりだったら声をかけれるだろうか。
この映画のオチのようになったらどうしよう。
と、ちょっと...ほんのちょっとゾクっとしました。
ちぶ~的バイロケ!?度5
オチを説明してくれてもちょっと頭が追いつかなくて色々考えちゃった私...あぁ、脳みそが腐りかけている...