名作嫌いの私。
鬼門だと思われる作品の一つは「ニュー・シネマ・パラダイス」。
鬼門映画リストの中でダントツ一位。
よりによってそんな映画を貸してくれたいとこ。
つい、渡されたときに「鬼門、持ってきちゃう!?」と本音をポロリ。
見なくてもいいよと言われたものの、借りたのに見ないわけにもいかないでしょう。
が、が、頑張りますよ。
と、手が震えたよね.....
オカルト映画の名作「キャリー」のリメイク版「キャリー(2013)」もオリジナルに愛があればあるほど震えるギャップ。
あらすじは...
あらすじは...
狂信的クリスチャンの母親から厳しい教育を受け、学校では周囲から疎外されている女子高生キャリー(クロエ・グレース・モレッツ)。彼女は、激しい興奮状態に陥るとある能力を使うことができるテレキネシスだった。それを誰にも打ち明けることなく、キャリーはつらく寂しい日々を送っていた。そんな中、ひょんなことから彼女は女生徒たちの憧れの的であるトミーとプロムパーティーに参加することに。喜びに浸るキャリーだが、その裏では彼女への残酷ないたずらが計画されていた。
手にしてしまった怒りの超能力。
オリジナルとリメイクの大きな違いを考察する。
意思のある力とコントロールできない力。
見るからに不幸という説得力が足りな過ぎるキャリーには、同情は必要ない。
これはリメイクなのか。
キャリーではなく、別の名前だったならすんなりと受け入れられたオカルト映画だったのかもしれない。
オリジナルが偉大なのに、リメイクを作ろうとする。
時を経て解釈や観客層に別のものを期待するからなのか。
同じ題材でもそれなりに稼げるという採算があるからなのか。
毎度、不思議でならない。
そもそもキャリーはキャリーでも、このキャリーは意味が違う。
どちらかというとぽっちゃり体系のクエロちゃん。
貧相のかけらもなくはじけんばかりの健康色。
華もあって美形。
むしろ、いじめっ子の方が似合っている。
あの顔で自信を持てないなんて嫌みの域である。
まぁ、本当は自尊心が高かったからこそのブチギレだったのかもしれない。
時代が流れ、女性の意思は強くたくましくなった。
複雑さはなくなり、わかりやすさが強調される。
やられたらやり返す。
その爽快さに恐怖はない。
本当の恐怖は今にも壊れそうな脆さと不可解の中にある。
そう考えると一言しゃべるだけでビビってしまうシシー様の怪演は、歴史に残る名演技だった。
というかキャリーそのものだったのですね。
と、偉大さを痛感せずにはいられませんでした。
ちぶ~的血みどろ度5
鮮やかっすなぁ。あの赤赤しさは、若いわぁ。ピッチピチだわぁ。と、現代版キャリーをうらやましく思う。