なんでも全力で。
とりあえず、そこまですればもし失敗したとしても後悔はしない。
そう思ってやってきたことが、ある日突然裏目に出る。
やっぱりそれはとても虚しい。
見返りなんて求めていないつもりでも、どうしてこんなに頑張ったのにと思う。
そんな思考を持つ時点で本当はもう間違っているのに。
自分で自分にびっくりする。
終わってみれば誰のせいでもない自分の責任にすぎないのだから。
「ばしゃ馬さんとビッグマウス」のばしゃ馬さんと自分はなんか似ているなぁとしみじみ。
あらすじは...
次々と脚本コンクールに応募するものの、一次審査すらも通らない34歳の馬淵みち代(麻生久美子)。そんな彼女と同じシナリオスクールに通う26歳の天童義美(安田章大)は、自分の作品をほとんど書いたことがない割には、常軌を逸した毒舌で他人のシナリオを酷評する。そんな彼らが出会ってしまい、何と天童がみち代にほれてしまう。嫌味な自信過剰男だと自分を嫌うみち代に認めてもらおうと、ついにシナリオを書くことを決意する天童。意外な彼の真摯(しんし)な姿に、みち代も心を開き始めるが……。
設定が特殊なのでちょっと私には遠く感じたけれど、やっぱり心に響いてくる。
パッケージのポスター画のようなオシャレさもない。
キラキラしたラブコメでもない。
だけど、とてもまっすぐ。
人が夢を持つ。
夢に向かってひた走る。
夢は願えば叶うもの。
やっぱりそれは選ばれた人間だけの話。
選ばれないものたちはどこへ
大人の自分探し映画。
そう。
頑張れば頑張った分だけ結果がでるとは限らない。
思い入れが強ければ強いほど空回り。
若い時は、無知だからこそ突っ走れる。
空っぽという強み。
年をとればとるほど知識や経験が無知を消し去っていく。
夢は、たとえ利口になってもこちらを向いてくれない。
才能というものは、数字にも言葉にもできない。
だからこそ誰にも与えられたものではなく、不公平なのだ。
自分の小さいころの夢はなんだっただろう。
私は、ばしゃ馬さんのように夢を持ったことがない気がする。
短大の時に抱いたささやかな夢は、文章を書く仕事に就きたいというざっくりとしたものだった。
結局、文系の大学に進学させてもらえず非現実的になったので振り返ることすら忘れた。
大人になると、夢は抱こうと思っても抱く前に諦めてしまう。
自分の映画批評の文章がどんな雑誌でもいいから掲載されたらいいなぁくらいしかない。
それだってめっそうもないことだと分かっている。
純粋に夢があると言える。
私はそれだけでかっこいいと思う。
実は夢を抱くことだって難しいことだと思うから。
だから、どうしてもみち代は贅沢だなぁと思ったり。
しかも周りはイケメンだし。(ただのひがみ)
かっこ悪 くても結果 が出なくても何かを志す。
たったそれだけで人生に価値が生まれる。
あのラストは終わりではなく始まりを示していたのではないでしょうか。
ちぶ~的がむしゃら度5
やっぱり何かを頑張っている人はかっこ悪くてもかっこいい。で、そんな人は恋愛も必死。あるあるを見つけてしまい、はっ!とする。