やたら女子のおもてなしが強要されがちな集まりがある。
職場の飲み会とか合コンとか。
本当にそういう雰囲気が大嫌いである。
クソくらえである。
私は盛りたくない。
自分の好きなものを食べたい。
人のことより自分の食欲が勝つ。
それじゃあ、男と女のサバイバルの中で生き残るのは難しいらしい。
.....それって、なんじゃらほい。
婚活しないといけないのに、そこんところが全くわからないので困っている。
「小人の饗宴」も奥底まではわかんない。
「アギーレ/神の怒り」「フィツカラルド」のヴェルナー・ヘルツォーク監督の出世作で、登場人物がほとんど小人という異色作。人里離れた郊外にある小人の収容施設。懲戒処分を受けた13人の小人がクーデターを起こす。食事や農作業に対する日頃の不満が爆発した結果だった。暴徒と化した彼らの破壊はどんどんとエスカレートしていき、アナーキーな乱痴気騒ぎはいつまでも続けられるのだった……。
登場人物全員小人。
実際に小人症の人たちを出演させた監督の意図に見えるもの。
どこの世界にも差別はある。
障害者と健常者と呼ばれている者たちのラインはどこか。
止まらない笑いの真意はなんだ。
とにかくパンチを食らう、忘れられそうにもない作品。
不快に思うのが正解なのかすら私には分からなかった。
それは、私の身近に小人症ような病気の人がいるからかもしれない。
背が伸びない病気は、生活にも支障が出る。
見た目でわかりやすい病気なのでいじめに遭って人間不信になったり。
私には想像もできないくらいの苦痛や苦労があったと思う。
その障害の障害は計り知れない。
今もその傷は完全に癒えることはないだろう。
そんな人たちがこれを見たらどんな反応だろうか。
バカにされていると思うのだろうか。
いろいろ考えてしまって頭がグルグルした。
でも、最後まで見て思う。
これは小人症がどうとかというよりも、差別に対する批判な気がする。
劇中の小人の中にもさらに見える差別がある。
小人症の盲目の双子が登場するが、その双子は小人たちにバカにされる。
目が見えないことをいいことにいたずらされまくるのだ。
結局、人間は差別する生き物だと言われているような気がした。
障害者、健常者と分けられても、その中にもさらに差別がある。
人間は、常に優位に立ちたい生き物なのだ。
そして、愚かで浅はか。
ポスター画にもなっているこのおっさんがこの作品のシンボル。
若干仲間にもバカにされているような気がするが、おっさんは負けない。
笑い袋みたいな笑いが終始止まらない。
それはこんな世の中に対して笑っているかのようだ。
笑っても笑っても終わらない。
笑い飛ばせないくらいの愚かさが、平気で世の中にいまだはびこっている。
映画のように愚弄はただただやりっぱなし。
この映画は、正解でも不正解でもないのだろう。
不快になる人がほとんどかもしれない。
監督の嫌がらせの可能性も否定できない。
だけど、必要のない作品ではないと言い切れる。
こういう映画がなければ人は、そのことについて考えることも向き合うこともしないだろうから。
そして、こんな映画はもう誰も撮れないだろうなぁ~。
おまけ
腹が減りすぎてモスで辛味噌ハンバーガーセットにかぶりつきました。
ちぶ~的ゲラゲラ度5
おっさんがとにかく笑う!何を見ても何をやっても笑う!途中、笑い疲れてむせはじめる...どんだけ~~。