なんだかんだであまり会社を変えたことがない。
一度、勤めたらそこで安定したいと毎回思うからだ。
辞めるとしたら会社都合。
今回は初めて、自己都合退社。
もうすぐ、今年2社目の仕事が始まる。
それは怖ろしく不安で物凄い可能性を感じる、未知との遭遇的な心境だ。
さすがに今回は長く続けたい。
でも、ダメならダメでもいい。
余計な執着は人生の楽しさを霞ませる。
そうはなりたくない。
前回と同じ過ちは繰り返したくない。
楽しむ。
人生、これに尽きる。
「ゴッドファーザーPART II」のように私の続編も成功してほしい。
解説は.......
亡き父のあとを継ぎドンとなったマイケルの苦悩と復讐を、父ビトーの少年時代からやがて一大ファミリーを築くまでのエピソードを交えて描いた、名作「ゴッドファーザー」の第2作。幼いビトーが青年となり、やがてファミリーを築くまでの物語と、父のあとを継ぎドンとなったマイケルの、父がそうであった頃と全く変わってしまった時代の中でのドンとしての苦悩と復讐の物語を、巧みに交差しながら展開していく。
最近のギャング映画は北野作品以外は好きじゃない。
ギャングを美化しすぎているものが多すぎる。
私が好きになれるギャング映画は、残酷で悲しくて虚しい。
そうではなければいけない。
ギャングは、正義も誠実さもないから。
前作と同様、全く劣らない出来。
交錯する二人のゴッドファーザー。
二人の人生。
二人の男は最後に何を見つめたのか。
名演とあの音楽が最後まで心を揺さぶる。
マーロン・ブランドに似ているわけではない。
それなのに....
しぐさや声、雰囲気は途中から完璧にマーロンにしか見えない。
この作品のデニーロのモノマネをする人は今でもたくさんいる。
それだけ印象的だったということに今更ながら気づいた。
マネしたくなるカリスマ性は、マーロンとは違う種類のものでありながらも絶大的なオーラがある。
なるべくしてなった男。
ゴッドファーザーになる過程が自然であり、違和感が一切ない。
ギャングでありながらも家庭を心の底から愛し、大切にしていたヴィトー。
ここがそもそもドンとは違っていたのかもしれない。
アル・パチーノは、今回も変わっていくドンを演じている。
この男はのぼりつめればのぼりつめるほど何かを失っていく。
女の私から見れば、最初から愛がなかったように感じる。
結婚ですらゴッドファーザーになるためだったような。
自分の父親を模倣しても中身がなければ意味がない。
ヴィトーを超えるゴッドファーザーになろうと欲を出した結果なのだろうか。
失っていけばいくほど、父親を超えることはできる。
でも、それは幸せとは程遠い名誉。
ドンは、結局ギャングの世界に染まり一人の人間としての幸せをすべて見失ってしまったのだろう。
ラストのドンは、孤独と絶望。
”無”という勝利。
続編の方が傑作だという人も多いが、私は前作の方が好き。
出来は同じ。
好みで評価が分かれているだけな気がする。
マーロンとデニーロ。
あの彫の深さはマーロンの方が渋い。
というか好み。
映像の作り方も音楽も2作とも完璧。
今の映画では主流になっているような手法が普通に転がっている。
歴史に残る続編。
今まで見た、どの続編映画よりも素晴らしい神がかり的なおとっつぁんがここにはいる。
ちぶ~的シビレル度5
殺人シーン、やっぱりオシャレすぎ!今見ても全く引けを取らない映画の質!若者こそ見たまえ!