手作りハンバーグ。
おいしいから急に食べたくなる。
しかし。
いつも嫌いなんだ。
微塵切り.....
玉ねぎと人参とピーマンを微塵切りして下ごしらえを終えるまでイライラMAX。
おいしいものを作るには手間が必要。
なんでも簡単にはいかないんです。
「カイロの紫のバラ」は、言葉にできない切なさが漂う。
夢と現実の狭間。
そう。現実は映画みたいにすんなりいかない。
解説....
古き良き30年代、熱心に映画館に通いつめるウェイトレスに、ある日スクリーンの中から映画の主人公が語りかけてきた。銀幕を飛び出し、現実世界へ降り立ったその主人公は、ウェイトレスを連れて劇場を後にする。大慌ての興行者たちをよそに、2人の仲は進展していく。そして、主人公を演じた本物のスターが現れた事によって事態はますます混乱を極めていく……。W・アレンが出演なしに脚本・監督したファンタスティックなラブ・ロマンス。
これは、まさに「ミッドナイト・イン・パリ」の原型。
でも、同じじゃない。
ウッディ・アレンは変態で天才。
その時代に求められているものをつくれる。
どちらの作品もその時に必要だったのだ。
映画好きだからこそ分かるロマンス。
紫のバラのように気品と誇りを失くしちゃいけない。
「ミッドナイト・イン・パリ」は、落ち込んでる時に見て気持ちが軽くなった。
抱えている現実が急にちっぽけなことに思えて。
パッと明るくて単純明快な楽しさ。
「カイロの紫のバラ」は、現実をみつめようと思える強さがある。
繊細で複雑な切なさ。
紫色の悲壮感が漂う
だからかもしれない。
両方好きだけど、「カイロの紫のバラ」の方が私好み。
籠の鳥のように生きるセシリアに共感してしまった。
外の世界へ飛び出す勇気がないセシリア。
現実ではできないことを映画で見る。
映画のような豪華さやロマンティックさ。
女性なら誰もが求める永遠の愛。
もはや、映画館に入り浸っている姿は自分にしか見えない。
映画という夢で生きたいと思う逃避。
それが叶うんじゃないかと期待してしまう愚かさ。
現実は現実でしかないのに。
夢は自分がつくるものなのに。
でも。
現実だけじゃ生きていけない。
想像するという自由。
映画に自分の人生を託すという逃げ。
どちらも必要。
映画があれば、生きるのがつらくてもその時間だけは映画の世界で生きられる。
私がそうしてきたように。
映画の世界を現実に求める。
それも悪いことじゃない。
だって、生きていれば無限大の可能性がある。
期待したっていいでしょう。
映画も、もしかしたら映画じゃないかもしれないじゃないか。
ちぶ~的ドロドロ度5
ミア・ファローとウッディコンビ。元パートナー。この何十年か後にウッディがミアの養女に手を出すのかと思うと映画よりもプライベートの方が映画になりそうと思ってしまう。