これだけは絶対譲れないっていうのは、本当に愛があるからですね。
映画とか。
リラックマとか。
おいしいものとか。
好きなものに左右されますが、その方が幸せだと思います。
だけれども、「絶対の愛」の愛は怖すぎだと思います....
誰かを好きになる。
それって何基準だろう。
人は見た目じゃないと言うけれど、本当にそうでしょうか。
グロテスクな絶対の愛は、韓国ならではの愛かもしれないけれど...
少なからず、男と女の哀れな性はどこの国だって同じ。
こんなラブストーリー、見たことなかった....
誰かを好きになったとする。
その理由を考えてみる。
漠然と優しいからとか話が合うからとか。
言葉にするとちっぽけで薄っぺらく聞こえる。
その理由の中に見た目も絶対に入っている。
分かりやすいものこそ、重要じゃないか。
その人の中身だけを愛している、見た目なんか関係ない。
と、言う人がいたら私は絶対に信じない。
そんなのきれいごとだろう。
見た目だってその人の一部なのだ。
その見た目と中身だから好きになったのだ。
この「絶対の愛」は、不信から狂気に変わる。
自分に自信を持てないのは、愛を信じていないのと一緒。
永遠に変わらない愛の形などない。
ずっと情熱的な恋愛を続けるなんてことはできない。
なんて愚かなんだろうと思う反面、美しさに固執する社会的背景がそうさせているとも思う。
綺麗ならすべてが手に入るだろうか。
自分に自信を持つことができたら、その愛を永遠に手にすることができるだろうか。
どんなに見た目が変わっても、中身はずっと同じ。
実は何も変わっていない。
それが本当の恐怖。
果たして愛は、どこにあったのか。
終わりなき連鎖に私は傷心するしかなかったのである。
ちぶ~絶対にない度5
あの不気味な公園って本当にあるんですか!?あんな公園、たとえ芸術だとしてもありえないですよ。公園が不気味度を増していると思います.....