理解できない奴はある意味死なない。
どんなときも自分を見失うことはない。
世界の中心は自分だと自負している。
思えばそんな奴らに振り回されてきた。
どこにでもそんな奴らはウヨウヨいる。
要は、それとどう付き合うかだ。
最近は怒りよりも面白さが先にくる。
だっておかしいのだ。
本人が気付いていないだけ。
裸の王様状態。
人の努力、誠実さ、善意を吸って生きている。
そういう人種の方がなぜか長生きする。
報われないことの方が多い世の中。
でも、奴らがちっともうらやましくない。
だって、愛されないことより虚しいことはないじゃないか。
「ノスフェラトゥ」もそうだ。
永遠の命って生き地獄。
解説....
ドイツ映画の古典であり、ドラキュラ映画の元祖であるF・W・ムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」(22)を、W・ヘルツォークがリメイクした作品。透明感をたたえた映像と怪奇ムードが合わさって何とも言えない雰囲気を醸し出している。
吸血鬼映画の元祖をリメイク化。
リメイクなのに、元祖らしさを残す手法に好感。
オリジナルは未鑑賞だが、漂う古典的怪奇な雰囲気が新鮮。
壮大な景色と途方もないノスフェラトゥの運命が物悲しく不気味。
最近の吸血鬼映画は、応用で尚且つ変化球が多い。
これは、超ド定番の吸血鬼。
なんでもシンプルイズベストがいい。
どっかの吸血鬼映画みたいにイケメンにすればいいってもんじゃない。
イザベル・アジャーニの白く、か弱い美しさが怖い。
この人に超能力らしきものを授けてはいけない。
半狂乱シーンだけで、ビビる。
あのデカ目は浜崎あゆみ以上の異常さ。
ノスフェラトゥまでをも魅了する。
そのノスフェラトゥの造形は古典そのもの。
きっとオリジナルを残しているであろうレトロキャラ。
明らかに見た目はガチガチの吸血鬼。
白いピッコロ風。
触覚がないので、早めに動けない。
爪はネイルアートをするために伸ばしているわけじゃない。
本当は不潔な男疑惑あり。
音楽で切迫する怪奇ムード。
日本でたとえるならお寺でお経を聞かされているような静かな緊張感。
迫力も勢いもじわじわと淡々とくる。
不治の病と吸血鬼の侵略が始まる。
本当に吸われるのは、血ではなく生気。
恐怖の産物は、人間が怖れているものが化した姿そのものなのです。
ちぶ~的じれったい度5
さっさと襲えばいいものをやたら時間をかけるノスフェラトゥ。意外に草食系な吸血鬼。="50">